株式投資は『喜捨』である。しかし債権はそうではない。
しかし債権はそうではない。
起業が、社会に向けて価値ある行いを行おうとするときに、
一般の株式投資家は見返りを求めずにお金を渡す。
値上がりや配当は、約束されたものではなく、
万一倒産しても返せとも言えない。
これはお金の『所有権の放棄』であって、『喜捨』である。
喜捨を続ければますます徳が積まれ(積立投資)、
その高い徳を慕って托鉢(配当)がなされ、食事を得る。
托鉢(配当)は、その有無や量によって測るものではない。
いただいたもので満足する。
いただいたものに満足して生活できれば、
(配当のうちで生活費を抑えて暮らせれば)
余剰の部分はさらに喜捨(再投資)し、ますます徳が積まれる。
このように暮らせるようになれば、出家である。
(配当金で暮らせるようになればリタイヤできる)
このようになるまでは、在俗信者として働きつつ、喜捨していくのだ。
(元本が不足しているうちは働いて節約し、積み立てろ)