ベジタリアン?ではない。
身近な人の病気がきっかけで、外食の機会が激減した時期を過ごしたせいか、
一般的な料理がどうも豪華過ぎるように思えてきたのです。
また、肉は動物を殺すことを考えるとどうもかわいそうで、
あまり多くは欲しくなくなってしまいました。
ただしクマやイノシシなど、
農作物を荒らす動物や、
人間を襲ってくる動物を
害獣としてやむなく駆除した場合の肉は、捨てるより食べて良いように思います。
まあ人間が食べなくとも、ほかの肉食動物が食べるでしょうから、
放置しても構わないのですが。
しかし殺して牛肉を食べるより、牛乳をもらって育てる方が気が楽です。
極端なことをいえば、納豆菌や乳酸菌まで殺生の対象とすれば、
何かを殺さずに生きていくことはできません。
落ちている果物を拾ったとしても、
自分がいなければ誰かがありつけた食事だと考えれば、
奪わずに生きていくことはできません。
だからこそ、できるだけ少なく奪い、少なく殺し、
感謝していたいと考えるようになりました。
お釈迦さまも、肉を食べることを厳密には禁止していません。
条件さえ満たせば、托鉢で肉をもらって食べてもよいのです。
ただし肉を食べたいと思うことは禁止していました。
食肉を育てるコストは高いものです。
反対に殺生の少ないものは、手に入りやすいもの、
コストのかからないものになりがちです。
有機野菜やなんだかんだと理由をつけても、
高い食事を食べようとすればそれだけ見えないコストで誰かを殺しています。
殺生の少ないものを食べると、食費が非常に低くなります。
白米 30円程
納豆 18円程
キムチ 20円程
卵 20円程
もやし 20円程
味噌汁 10円程(ダイソー10袋入り) など。
このうちいくつかを食べるくらいです。
やたらと野菜食を推奨する人たちもいますが根拠がありません。
厚労省の調査などは、完全にサギ的な実験ばかりですし、
ひじきに含まれているといわれていた鉄分が、
じつは実験の際に鉄鍋で煮ていたからだったと判明した際には、
さすがにあきれ果てました。
多少は食べることもありますが、900ml程度の野菜ジュースなど、
極めて安価に手に入ります。
どうにも食費がかさみません。
それでいて、日に日に、ごはんをおいしく感じるようになるので不思議です。
そういえば、イギリスで減塩に取り組んだケースが発表されています。
< 塩と健康 国民運動(CASH) クレア・フェランドさん >
人間はたった6週間で薄味にも慣れてしまうという研究があります。
少しずつ減塩すれば誰も気付かず、消費者離れは起きないと考えたんです。
慣れ、なのかもしれません。
人間には、他の生き物を大量に殺して、美味い美味いと食う力はあります。
しかししばらくすると、慣れてしまい、さらに殺すのです。
なんだか、欲深すぎて自分は合わないから、僕は避けてます。
まあ、好き好きですね。
古代ローマの再出現
古代ローマのエピソードで、貴族たちの宴会では、美食を求めて満腹まで食べては吐き、再度食事をすると言う事を繰り返したらしいですね。
そのような贅沢はまた、各地から連れてこられた奴隷たちの労働によって支えられていたといいます。
これを聞くと古代ローマ人は異常だとか、嫌悪感を感じる人も多いでしょう。
しかし、僕はいつも思うのだけど、昨今の市民マラソンブーム。
飽食に飽きてメタボだなんだと叫ばれるようになると、健康的なスタイル・ライフスタイルがいいといって無駄に走り回りカロリーを消費し、その後はワインと殺した動物の肉をむさぼる。
走っては殺した肉を食う。
吐いては殺した肉を食う。
しかもそのような贅沢ができる人たちは比較的裕福で、貧困とはあまり縁がなく人生を謳歌しているようです。月給14万円の人たちに支えられて、年収500万円の貴族が遊興にふけっている。
彼らにもっと奉仕活動をしろとか押しつけの意思はないんです。
ただただ、古代ローマ人と同じだよねと、思うのです。