無欲と強欲のブログ

お金の事だけ勉強すればお金の問題は解決できる。

過去世って本能?

前世・過去世という言葉がある。

 

動物には、「種(しゅ)」としての記憶があると
言われており、生得的な恐怖というものが確認されている。

初めて見たネコに身がすくむネズミ。
ワシの影におびえて身を隠す他の鳥のひな。

もしかするとこういうのも、
動物全体の記憶(前世の記憶)なのかもしれない。

 

そもそも「過去世」とは一つの魂が
何度も「生まれなおす」だけのものではないらしい。

 

例えば「100年前のAさんの過去世」を持った
BさんとCさんが同時に存在することもあるらしい。

 

BさんとCさんどちらが本物かと言う事にはならない。

 

これも例えば、
「去年ドバイに出張していたA先輩」が
「今年ドバイに出張しているBさんとCさん」に、
自己の経験からアドバイスをしているというイメージで
捉えればいいのだろうか。

 

この場合、「前世・過去世」=「守護霊(?)」と言える。

 

ネズミに猫が危険だと教えているのも、
猫にネズミが美味しいと教えているのも、前世=守護霊なのかも。

 

 

僕はまだ自分の前世の記憶もないし、
つまり守護霊にも出会っていない。

 

でも感じる。いつか会えるだろう。思い出すだろう。

健康法はつまらない。

○○をすると健康になれる。
××をすると病気が治る。

 

必要な人にとっては必要な情報だが、
一方で、全員が最後に死んでいるのであれば、
そんなものは何の役にも立たない。

 

ある人は50年生きて死ぬ。
ある人は80年生きて死ぬ。

 

死ぬことが負けならば、歴史上の全員が不幸な敗者だ。

 

しかし死んでもなお意識(魂)が残るとしたら、
それもまた、健康法の価値も下がる。

 

 

健康法の事よりも、生き方を考えたい。
死んでからも意識があるならば、その時に後悔しないように。

 

「なんだ、死んでも消えないのに
 くだらない健康法ばかりに人生を費やしてしまった」

と後悔はしたくないね。

株式投資は『喜捨』である。しかし債権はそうではない。

株式投資は『喜捨』である。

しかし債権はそうではない。

 

 

起業が、社会に向けて価値ある行いを行おうとするときに、
一般の株式投資家は見返りを求めずにお金を渡す。

値上がりや配当は、約束されたものではなく、
万一倒産しても返せとも言えない。

これはお金の『所有権の放棄』であって、『喜捨』である。
喜捨を続ければますます徳が積まれ(積立投資)、
その高い徳を慕って托鉢(配当)がなされ、食事を得る。

 

托鉢(配当)は、その有無や量によって測るものではない。

 

いただいたもので満足する。

いただいたものに満足して生活できれば、
(配当のうちで生活費を抑えて暮らせれば)
余剰の部分はさらに喜捨(再投資)し、ますます徳が積まれる。

 

 

このように暮らせるようになれば、出家である。
(配当金で暮らせるようになればリタイヤできる)

 

このようになるまでは、在俗信者として働きつつ、喜捨していくのだ。
(元本が不足しているうちは働いて節約し、積み立てろ)

 

本田流鎮魂術って体外離脱?

本田流鎮魂術というのがある。

 

まあざっくりと言えば、

「目の前に置いた石に異常に集中していく」わけだが、
これって結局体外への集中となって、
体外離脱の引き金となるんじゃなかろうか?

 

  本田流鎮魂術

   ↓

  出口王仁三郎大本教

   ↓

  植芝盛平合気道

 

の流れも、しっくりくるんだよね。

 

 

合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録

合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録

 

 

ミニマリスト?

自分が「ミニマリストです」というはっきりした意識はありません。
しかし、確かに物を捨てたくて仕方ない気持ちはあります。

 

 

そもそも「子供のころからスナフキンが大好き」だったし、

 

スナフキンの名言集

スナフキンの名言集

 

 

日本のブリキ小屋の街並みが嫌いで、
普通の家を買うよりも日本中の、世界中の、
旅館やホテルを泊まり歩いてみたい!
と考えているし、
(当然荷物が多くては持ち運べない)

 

フローの住宅・ストックの住宅: 日本・アメリカ・オランダ住宅比較論

フローの住宅・ストックの住宅: 日本・アメリカ・オランダ住宅比較論

 

 

※日本の家が貧しいのは政治と社会システムのせいだと判明

 

大好きだった、祖父も祖母も父も母も死んで、
遺品処分に時間がかかったり、結局「もの」なんて
あの世に持って行けもしねえ。とか考えてみたり、

 

あと、バイクを買ったら自由が手に入るかと思って所有した結果、
駐車場所、ヘルメットやプロテクター、それらを置く場所、
整備の手間、税金など、
気が付けばバイクに乗られてた自分がいた事。

 

 

※売ったらホントにすっきりして自由を手に入れた。
 今後は旅先でレンタバイクを利用するような人間になりたい。

 

 

 

 

(´・ω・`)最近なら、ミニマリストっていう言葉で市民権を得られるので
楽になりましたね。

 

 

大切なこと、もの、ひとを探しています。

時計

時計でその人の年収が分かるとまで言われるらしいが、
そもそも僕は腕時計をすることが少ない。

それでも冠婚葬祭など、礼儀の一着として持っている。

腕時計なんて、死んだら肉体を失うので持っていけるものではない。

それなのに豪華な腕時計のために高いローンまで組んで
労働の時間を延ばしている人たちがいる。

「時間」とは「命」そのものなのに。

不思議なことだ。

 

これが僕の腕時計。1000円。 

 

そして下のこれだと350000円だ。
僕の時計の350倍の値段がする。

しかし1日の時間は24時間しかもらえないらしい。

むしろ支払いのために働く分、時間は減る。

 

 

 

ベジタリアン?ではない。

身近な人の病気がきっかけで、外食の機会が激減した時期を過ごしたせいか、
一般的な料理がどうも豪華過ぎるように思えてきたのです。

また、肉は動物を殺すことを考えるとどうもかわいそうで、
あまり多くは欲しくなくなってしまいました。
ただしクマやイノシシなど、農作物を荒らす動物を害獣として
駆除する場合の肉は、捨てるより食べて良いように思います。

しかし殺して牛肉を食べるより、牛乳をもらって育てる方が気が楽です。

極端なことをいえば、納豆菌や乳酸菌まで殺生の対象とすれば、
何かを殺さずに生きていくことはできません。

落ちている果物を拾ったとしても、
自分がいなければ誰かがありつけた食事だと考えれば、
奪わずに生きていくことはできません。

だからこそ、できるだけ少なく奪い、少なく殺し、
感謝していたいと考えるようになりました。

 

お釈迦さまも、肉を食べることを厳密には禁止していません。
肉を食べたいと考えて食べることを禁止していました。

 

食肉を育てるコストは高いものです。
反対に殺生の少ないものは、手に入りやすいもの、
コストのかからないものになりがちです。

有機野菜やなんだかんだと理由をつけても、
高い食事を食べようとすればそれだけ見えないコストで誰かを殺しています。

 

殺生の少ないものを食べると、食費が非常に低くなります。

 

白米  30円程
納豆  18円程
キムチ 20円程
卵   20円程
もやし 20円程
味噌汁 10円程(ダイソー10袋入り) など。

 

このうちいくつかを食べるくらいです。

やたらと野菜食を推奨する人たちもいますが根拠がありません。
多少は食べることもありますが、900ml程度の野菜ジュースなど、
極めて安価に手に入ります。

 

どうにも食費がかさみません。

 

それでいて、日に日に、ごはんをおいしく感じるようになるので不思議です。

そういえば、イギリスで減塩に取り組んだケースが発表されています。

 

< 塩と健康 国民運動(CASH) クレア・フェランドさん >
人間はたった6週間で薄味にも慣れてしまうという研究があります。
少しずつ減塩すれば誰も気付かず、消費者離れは起きないと考えたんです。

 

慣れ、なのかもしれません。

 

人間には、他の生き物を大量に殺して、美味い美味いと食う力はあります。
しかししばらくすると、慣れてしまい、さらに殺すのです。

 

なんだか、欲深すぎて自分は合わないから、僕は避けてます。

まあ、好き好きですね。