低犠牲・低代償食品(Low Priced Food?)のすすめ

お金の事だけ勉強すればお金の問題は解決できる。

仮想通貨について

僕は仮想通貨を所有していません。

それどころか、通貨もあまり所有していません。

 

通貨とは

「自分が必要なものと

 誰かが持っているものを交換するために、

 一時的に

 相手が受け取ってくれる形式に変換されたもの」

だからです。

 

例えば、

おもちゃ工場で働く賃労働者は、

会社に労働力を提供します。

 

会社は賃労働者から労働力を購入します。

この時の支払いには何が適しているでしょうか?

 

このとき、会社はその会社の商品を渡すのが

手っ取り早いでしょうが、

賃労働者は、商品(おもちゃ)を大量に受け取っても

それを米や家賃の支払いに充てることは困難なため、

賃労働者が欲する形である「現金」で支払うことが

日本の場合には法律でも定められています。

 

会社は賃労働者から「労働力」を買い、

賃労働者はお店で必要な「生活必需品」を買います。

この時に役に立つのが、「通貨」なのです。

通貨とは、流通貨幣の略であり、主な能力は『流通』です。

交換用のアイテムであって、

保管するためのものではないのです。

 

流通の間に起こる、高値安値の一瞬の機会を狙って

ものを転売目的で購入することは

投機と呼ばれます。

 

流通貨幣は、価値が常に変動するものであり、

それ自身が価値を生み出すことはありませんから、

(着られない・食べられない・住めない)

転売目的でしかありえません。

 

つまり投機なのです。

 

これは仮想通貨に限ったことではなく、

通貨はすべて投機なのです。

 

例えば、今日手元に100円があるとして、

スーパーのキャベツが100円だとします。

明日は120円でしょうか?

それとも88円でしょうか?

 

これが不確定な投機です。

 

確実なのは、今日キャベツを買うことです。

 

120円になれば、20円の得をしたし、

88円になれば、12円の損をするかもしれません。

 

しかし手元に確実にキャベツがあるわけです。

その意味では全く損も得もしていません。

 

これが「現物」のもつ安定性です。

 

 

僕はこの「現物の安定性」と、

キャベツにはなくて「企業が持っている成長性」に

着目しているので、資産はほぼすべて「株」で所有します。

 

仮想通貨なんて、スーパーのお正月福引チケット程度のものでしょう。

 

 

 

さらに詳しくは、機会があれば続きを書きたいです。

飢餓問題の現実

食糧問題が解決しても、飢餓はなくならない。

飢餓を減らすには、人口の管理が必要になる。

ユニセフや国連が計画性もなしにワクチンを投与すれば、

病気や栄養失調で死ぬはずだった子供が餓死するのだ。

 

 

商業で、「廃棄ロス」というものがあるが、

弁当を売れる数以上に仕入れる方が、

品切れが起きないのでお客さんが満足してまた来てくれるし、

利益も最大限になるというもの。

 

 

賞味期限切れでごみ箱に捨てる弁当の赤字と、

それを避けて品ぞろえの悪い店になっていくことと、

長期的に見てどちらが本当の赤字、避けるべきことか、という問題。

 

 

 

人間、いやおそらくどの生き物も、人口を管理しない限りは増え続ける。

 

どこまで増えるだろうか?

 

もちろん「餓死するまで増える」のだ。

 

では食糧を供給すればどうなるだろうか?

 

再び「餓死するまで増える」のだ。

 

 

 

 

牛が増えすぎれば草を食べつくして餓死するらしい。

トラが増えすぎれば牛を食べつくして餓死するらしい。

 

 

食糧問題の解決では、餓死は減らない。

餓死者は増える。

ワクチンで病気を避ければ、餓死する。

 

 

ワクチンを贈るなというわけではない。

 

餓死を止めたければ食糧問題ではなく、

人口管理だというだけ。

 

 

適正な人口は人類の発展によって変化していくだろう。

大雪

大雪だ。

ウチの周りから、雪かきの音が聞こえてくる。

自分のための雪かきではない。

クルマ様に乗せていただくために、道をあけているのだ。

奴隷達が黙々と雪をどかしている。

マイホーム様のために高齢の身を押して屋根に登っているおじいさんも見える。

 

なぜ、自宅と職場を徒歩圏内にしないのだろう。そりゃあ車を手放せない高齢者になるさ。

 

マイホームもクルマも手放せば楽になるのに。

 

職場の徒歩圏内の賃貸住宅に住んで、家に米と豆がストックされている僕が、すでに解放された義務ばかりだ。

 

さらに数年中に車を手放う。

どんどん楽になっている。

食っていいぞ。

例えば「柿」の実など、果実について考えてみる。

 

誰も食べなければ全部が足元に落ちる。

 

実が腐って種が残り、

芽が出るかというと、親の木が立っているから

日も遮られて育たない。

 

「実」は多分、動物に「種」を運んでもらうための道具であり、

「報酬」である。

 

下記は、甘い実を与えることで種を運ばせているのだ。

 

ここには、食べる側と食べられる側に、合意がある。

 

この場合、柿の実は「主体」ではない。

人間に例えれば爪(ツメ)みたいなもんで、

「切った爪をあげるからタクシー乗せてくれ」って頼むようなもの。

 

果実には「食べられることへの恐怖」がないと思われる。


COWSPIRACY: The Sustainability Secret - EN

インド仏教的なベジタリアンです

肉を食べない理由はいくつもある。

 

(1)殺すのが可哀想。

自分で殺しているわけではないが、育てている牛を裏切り、殺すことは僕には出来ない。反対に、それを出来る人は食べてもいいのだとも思う。あと、害獣駆除による殺生もやむを得ないと思います。自分の体も生きているので、強い方が勝ちます。

 

(2)人間の食べ物だと思えない。

リンゴやバナナやブドウを見るとおいしそうに見えます。でも牛や豚や鳥や、犬や猫や熊や魚を見てもおいしそうには見えません。食欲中枢が反応しないのです。ライオンは牛を見ておいしそうだと思うから食べるのでしょうね。

 

(3)高価である。

高価なものを食べるのは非合理的です。食べ物は手に入りやすい方がよい。野生の動物だって、捕まえやすい相手を襲って食べます。穀物や野菜から肉を育てるにはコストがかかります。コストは価格に跳ね返り、価格が高いことはそのまま、賃労働者の時間を奪います。

 

(4)人間生活の環境に悪影響である。

無駄な動物を生んで育てて殺すのですから、食料、呼吸、排泄、死体処理による環境汚染がひどいです。土地問題や水問題や大気汚染などの原因です。エコを気取ってエコバッグをもつくらいなら、肉を大豆に替えればよろしい。

 

 

これらが理由で、肉を好んで食べません。

ですが、僕自身は完全菜食主義(中国型仏教スタイル)でもないですし、

非殺生主義(ジャイナ教スタイル)でもありません。

 

 

カップめんを買って肉が入っていても食べますし、

他人がプレゼントしてくれた場合、

そこにわざわざ価値観の押しつけも無用かとも思います。

せっかくの好意ですから。

 

 

ここら辺は、御釈迦様が

「托鉢の際に肉をもらった場合に食べていい条件」があり、

これが近いですね。

そもそも古代の仏教僧にとって肉食は条件を満たせばOKだったわけです。

 

 

有三種淨肉應食。若不故見不故聞不故疑應食。若不見爲我故殺。不聞爲我故殺。若不見家中有頭脚皮毛血。又彼人非是殺者。乃至持十善。彼終不爲我故斷衆生命。如是三種淨肉應食。

 

  • 殺されるところを見ていない
  • 自分に供するために殺したと聞いていない
  • 自分に供するために殺したと知らない 

 

 

まあ、

托鉢僧の分際で、いただいた食事にケチをつけるなという自戒でしょう。

 

 

僕の場合は、「安いものを食べる」というルールで、

見えないコストや殺生を計測しています。

 

たくさん育てて殺した場合、それは価格に転嫁されます。

 

 

安いものは、殺した量が少ないだろうという推測です。

 

 

みんなこう考えてくれたら、

くそくだらない温暖化問題も食糧問題も解決ですよ。

信念について

人間にはそれぞれ「信念」がある。

 

「宗教」と言い換えてもいいのだが、

日本では、宗教を信じていないのが現代人の正しい姿というような

「信念」がある人が多い。

 

これもまた、

「神などいない教」や「科学は正しい教」という宗教である。

 

ややこしいので「信念」とよぶ。

 

 

その人にとっては、それが唯一絶対に正しいので、

原発は必要」という人や「原発は不要」という人が、

それぞれの信仰で戦っている。

 

 

ダイオキシン環境ホルモンが危ない!」という

一時流行った宗教・信念を今でも続けている人は少ない。

 

 

科学的に否定されたため、熱を失ったのだろう。

 

 

そうであれば、今この国を覆っている

「ゴミの分別やリサイクルは環境にいい!」という宗教・信念も、

きっといつか晴れてくれると願うばかり。

 

 

明らかに間違っているのに、信念を持っている人たちには、

あるいは利権で潤っている人たちには、通じない言葉だ。

ロボットは奴隷ではない。

ロボットは奴隷ではない。

だから、使っていい。

 

 

「やさしくしよう。酷使しないであげよう」ではない。

 

 

ロボットは道具なのだ。

 

 

例えば包丁や鍋が、まだ使えるのに捨てたら

「もったいない」という。

 

 

ロボットは、ボロボロになるまで酷使してあげる。

働いてもらう。

もちろん油を指して修理して、大切に酷使する。

 

 

人はもう働かなくていい時代が来る。