無欲と強欲のブログ

お金の事だけ勉強すればお金の問題は解決できる。

それぞれのゲーム。それぞれの旅。

アマゾン奥地で暮らす人たち、の番組を見た。
吹き矢・ライフル・ヤリで獲物をしとめて食べる暮らしだった。

 

内戦で戦う兵隊たち、の番組を見た。
コンクリの瓦礫、爆弾、機関銃で戦う暮らしだった。

 

ブラック企業に就職してうつ病になる人たちの番組を見た。
金と法律と権力と人間関係で戦う暮らしだった。

 

 

 

 

 

なんとまあ様々な、ゲーム・人生が
同時進行しているサーバーなのだろう。

 

 

どこでスポーンしても、そこでプレイするのだ。

 

そう思うと、となりの人と私のゲームも違うのだろう。
結婚している人と独身の人のゲームも、
男と女のゲームも、
体力派も頭脳派のゲームも、
理系と文系のゲームも。

 

 

 

僕には僕のゲーム。

怒りの質

ああ、そういえば気が付いたことがある。

 

 

昔も今も僕は怒りっぽいのだが、

昔の怒りは身を焼くように怒り、疲れ果てていた。

今の怒りは、憐れむように怒り、自信が深まる。

 

 

相手の行動に対する怒りではなく、
教育や社会やルールへの修正プランが沸き上がるのだ。

 

このような怒りは、怒りであると自ら認めながらも、
身を焼くような、頭がくらくらするような昔の怒りとは違うなあ。

 

と、いま気が付いた。

僕の怒り

怒りは手放さなければならないというが、
まだ手放せていない怒りがある。

 

他人に迷惑をかけている人間への怒りであり、
調和を乱したことで効率を下げている人間への怒りと哀れみである。

 

内容はくだらない。

 

右折しようとして
センターラインをはみ出した状態で待っている車が、
その車がセンターラインをはみ出していることによって
対向車は減速し、ゆっくりと前を通っていく。

 

もしセンターラインをはみ出さずに、
ウインカーだけつけて待っていれば、
彼自身スムーズに右折できるのに。

 

この、後続車であった場合と対向車であった場合と、
それを見かけた場合に腹が立つ。

 

自分が利害関係のない歩行者であってもだ。

 

 

なんだろうな。

MSCIコクサイインデックスに100%

セミリタイヤブログの多くに、資産バランスの事が書かれている。

 

国内、国外、新興国の債券や株や不動産を
自分でバランスよく配分したり、
自動的にバランスを取ってくれる(リバランスしてくれる)
投資信託に預ける方法だ。

 

僕は長期的な個人投資について、次のような考え方を取っている。

 

「明日、交通事故に遭って、
 目覚めたのが40年後だったとき、その資産は増えていそうか」

 

すべての個別株投資家は、あくまでも自分の能力に起因している。

確かに勉強すれば一定の成績をとれるようになるかもしれない。

 

しかし、
明日、突然の難病で意識を失う可能性、
ちょっとした入院中にあるいは手術中に、株が暴落する可能性、
自動損切をできるようにした指値を超えて値下がりし、
約定ナシのままで倒産する可能性。

 

これは予知能力者でないと判定できないリスクだ。

 

だから僕の財産は、MSCIコクサイインデックスだけで運用している。

もっとも、厳密にいえば、
国民年金では日本株や債券等にも投資しているのだろうから、
意識している部分で、という意味だけど。

 

インデックス・ファンドの時代―アメリカにおける資産運用の新潮流

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敗者のゲーム〈原著第6版〉

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株式投資 第4版

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株式投資の未来?永続する会社が本当の利益をもたらす

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過去世って本能?

前世・過去世という言葉がある。

 

動物には、「種(しゅ)」としての記憶があると
言われており、生得的な恐怖というものが確認されている。

初めて見たネコに身がすくむネズミ。
ワシの影におびえて身を隠す他の鳥のひな。

もしかするとこういうのも、
動物全体の記憶(前世の記憶)なのかもしれない。

 

そもそも「過去世」とは一つの魂が
何度も「生まれなおす」だけのものではないらしい。

 

例えば「100年前のAさんの過去世」を持った
BさんとCさんが同時に存在することもあるらしい。

 

BさんとCさんどちらが本物かと言う事にはならない。

 

これも例えば、
「去年ドバイに出張していたA先輩」が
「今年ドバイに出張しているBさんとCさん」に、
自己の経験からアドバイスをしているというイメージで
捉えればいいのだろうか。

 

この場合、「前世・過去世」=「守護霊(?)」と言える。

 

ネズミに猫が危険だと教えているのも、
猫にネズミが美味しいと教えているのも、前世=守護霊なのかも。

 

 

僕はまだ自分の前世の記憶もないし、
つまり守護霊にも出会っていない。

 

でも感じる。いつか会えるだろう。思い出すだろう。

健康法はつまらない。

○○をすると健康になれる。
××をすると病気が治る。

 

必要な人にとっては必要な情報だが、
一方で、全員が最後に死んでいるのであれば、
そんなものは何の役にも立たない。

 

ある人は50年生きて死ぬ。
ある人は80年生きて死ぬ。

 

死ぬことが負けならば、歴史上の全員が不幸な敗者だ。

 

しかし死んでもなお意識(魂)が残るとしたら、
それもまた、健康法の価値も下がる。

 

 

健康法の事よりも、生き方を考えたい。
死んでからも意識があるならば、その時に後悔しないように。

 

「なんだ、死んでも消えないのに
 くだらない健康法ばかりに人生を費やしてしまった」

と後悔はしたくないね。

株式投資は『喜捨』である。しかし債権はそうではない。

株式投資は『喜捨』である。

しかし債権はそうではない。

 

 

起業が、社会に向けて価値ある行いを行おうとするときに、
一般の株式投資家は見返りを求めずにお金を渡す。

値上がりや配当は、約束されたものではなく、
万一倒産しても返せとも言えない。

これはお金の『所有権の放棄』であって、『喜捨』である。
喜捨を続ければますます徳が積まれ(積立投資)、
その高い徳を慕って托鉢(配当)がなされ、食事を得る。

 

托鉢(配当)は、その有無や量によって測るものではない。

 

いただいたもので満足する。

いただいたものに満足して生活できれば、
(配当のうちで生活費を抑えて暮らせれば)
余剰の部分はさらに喜捨(再投資)し、ますます徳が積まれる。

 

 

このように暮らせるようになれば、出家である。
(配当金で暮らせるようになればリタイヤできる)

 

このようになるまでは、在俗信者として働きつつ、喜捨していくのだ。
(元本が不足しているうちは働いて節約し、積み立てろ)