低犠牲・低代償食品(Low Priced Food?)のすすめ

お金の事だけ勉強すればお金の問題は解決できる。

なかった時代。

車がなかった時代には、車がなくても生活ができていた。

 

400年続いた集落が、

70代以上の男性3人しか残っていない限界集落になった。

何が起きたのだろう。

 

少し前の町にはお寺があったけれど、

どんどん廃寺が進んでいる。

何が起きたのだろう。

 

車がない時代には、車は暮らしを便利にする道具だった。

 

だが道具が普及して、「あることが当たり前の社会」になると、

突然、「ないと生きていけない社会」が現れる。

 

車で人の移動が可能になれば、より便利な都会に人が流れて、

村は消えていった。

 

車で人が引っ越したから、寺でおこなわれていた葬式も、

郊外の大型駐車場完備の葬儀場にもっていかれ、

寺は消えていった。

 

 

便利な品だからこそ受け入れられていた

「ぜいたく税」である自動車税は、

車があることを前提とした社会となった今でも重くかかり、

車がなくては暮らせない田舎ほど負担は大きい。

今や田舎暮らしは、ぜいたくなのだろう。

 

 

車を買うと、軽自動車でも年間40万円程度の維持費がかかる。

仕事に行くための車を買い、車の金を支払うために仕事をする。

仕事に行くのだから人付き合いの出費もあり、

うさ晴らしの金も要る。

仕事中に子供を預かってくれる保育園のお金も稼ぐ。

そのためには働きにいかなくてはならず、そのために車がいる。

マイホームを買えば、

職場から遠い土地なら通勤の車が必要だ。

マイホームと車のローンを支払うために、

マイホームでのんびりする時間はない。

 

 

あれ、何をしているんだろうと、気が付いた時には、老人になっている。

誰のために働いたのか?

ハウスメーカーと自動車屋と銀行のために働いたのだ。

 

そんな喜劇を、町中で演じているのだ。

雪の日の出勤風景

大雪が降っても、ミサイルが飛んできたとJアラートが鳴っていても、

毎日同じ出勤をする人たち。

 

深夜営業があるから客が来るのか?

客が来るから深夜営業があるのか?

深夜営業で疲れた従業員は昼まで眠り、

夕方遅くに買い物に出かけるから深夜営業の店が必要だ。

 

大雪だから長靴とスコップを買いに来る客がいるから、

大雪だけど出勤しなくちゃいけない人がいて、

大雪だけど出勤しなくちゃいけないから、

大雪だけど長靴とスコップを買いに行く。

 

会社に通勤しなくちゃいけないから車を買って、

車のローンを払わなくちゃいけないから会社に行く。

 

健康のために高価な健康食品を買うためにお金を稼ぐため、

せっかく伸びた寿命を会社のためにささげる人たち。

安価なカップ麺で満足をしてみると、

働かなくてよくなった分遊べる時間がたっぷり伸びる。

 

永遠の迷いのサイクルに足を取られていては、

輪廻の解脱も叶うまい。

今生も次の生も、サイクルから離れなければ繰り返すばかり。

肉を食べるのは脳のため?

ときどき、脳が大きくなって活動するために

肉を食べなくちゃいけなくなったんだという主張(?)を耳にするが、

だったら果物や草ばかりたべているゴリラやチンパンジーは、

ハイエナやネコより頭が悪いと言いたいのだろうか?

 

脳が糖を欲しがって虫歯になるってくらいの説なら理解できるけど。

 

ああそうか。きっと頭が悪い奴らが言っているんだろう。

仮想通貨について

僕は仮想通貨を所有していません。

それどころか、通貨もあまり所有していません。

 

通貨とは

「自分が必要なものと

 誰かが持っているものを交換するために、

 一時的に

 相手が受け取ってくれる形式に変換されたもの」

だからです。

 

例えば、

おもちゃ工場で働く賃労働者は、

会社に労働力を提供します。

 

会社は賃労働者から労働力を購入します。

この時の支払いには何が適しているでしょうか?

 

このとき、会社はその会社の商品を渡すのが

手っ取り早いでしょうが、

賃労働者は、商品(おもちゃ)を大量に受け取っても

それを米や家賃の支払いに充てることは困難なため、

賃労働者が欲する形である「現金」で支払うことが

日本の場合には法律でも定められています。

 

会社は賃労働者から「労働力」を買い、

賃労働者はお店で必要な「生活必需品」を買います。

この時に役に立つのが、「通貨」なのです。

通貨とは、流通貨幣の略であり、主な能力は『流通』です。

交換用のアイテムであって、

保管するためのものではないのです。

 

流通の間に起こる、高値安値の一瞬の機会を狙って

ものを転売目的で購入することは

投機と呼ばれます。

 

流通貨幣は、価値が常に変動するものであり、

それ自身が価値を生み出すことはありませんから、

(着られない・食べられない・住めない)

転売目的でしかありえません。

 

つまり投機なのです。

 

これは仮想通貨に限ったことではなく、

通貨はすべて投機なのです。

 

例えば、今日手元に100円があるとして、

スーパーのキャベツが100円だとします。

明日は120円でしょうか?

それとも88円でしょうか?

 

これが不確定な投機です。

 

確実なのは、今日キャベツを買うことです。

 

120円になれば、20円の得をしたし、

88円になれば、12円の損をするかもしれません。

 

しかし手元に確実にキャベツがあるわけです。

その意味では全く損も得もしていません。

 

これが「現物」のもつ安定性です。

 

 

僕はこの「現物の安定性」と、

キャベツにはなくて「企業が持っている成長性」に

着目しているので、資産はほぼすべて「株」で所有します。

 

仮想通貨なんて、スーパーのお正月福引チケット程度のものでしょう。

 

 

 

さらに詳しくは、機会があれば続きを書きたいです。

飢餓問題の現実

食糧問題が解決しても、飢餓はなくならない。

飢餓を減らすには、人口の管理が必要になる。

ユニセフや国連が計画性もなしにワクチンを投与すれば、

病気や栄養失調で死ぬはずだった子供が餓死するのだ。

 

 

商業で、「廃棄ロス」というものがあるが、

弁当を売れる数以上に仕入れる方が、

品切れが起きないのでお客さんが満足してまた来てくれるし、

利益も最大限になるというもの。

 

 

賞味期限切れでごみ箱に捨てる弁当の赤字と、

それを避けて品ぞろえの悪い店になっていくことと、

長期的に見てどちらが本当の赤字、避けるべきことか、という問題。

 

 

 

人間、いやおそらくどの生き物も、人口を管理しない限りは増え続ける。

 

どこまで増えるだろうか?

 

もちろん「餓死するまで増える」のだ。

 

では食糧を供給すればどうなるだろうか?

 

再び「餓死するまで増える」のだ。

 

 

 

 

牛が増えすぎれば草を食べつくして餓死するらしい。

トラが増えすぎれば牛を食べつくして餓死するらしい。

 

 

食糧問題の解決では、餓死は減らない。

餓死者は増える。

ワクチンで病気を避ければ、餓死する。

 

 

ワクチンを贈るなというわけではない。

 

餓死を止めたければ食糧問題ではなく、

人口管理だというだけ。

 

 

適正な人口は人類の発展によって変化していくだろう。

大雪

大雪だ。

ウチの周りから、雪かきの音が聞こえてくる。

自分のための雪かきではない。

クルマ様に乗せていただくために、道をあけているのだ。

奴隷達が黙々と雪をどかしている。

マイホーム様のために高齢の身を押して屋根に登っているおじいさんも見える。

 

なぜ、自宅と職場を徒歩圏内にしないのだろう。そりゃあ車を手放せない高齢者になるさ。

 

マイホームもクルマも手放せば楽になるのに。

 

職場の徒歩圏内の賃貸住宅に住んで、家に米と豆がストックされている僕が、すでに解放された義務ばかりだ。

 

さらに数年中に車を手放う。

どんどん楽になっている。

食っていいぞ。

例えば「柿」の実など、果実について考えてみる。

 

誰も食べなければ全部が足元に落ちる。

 

実が腐って種が残り、

芽が出るかというと、親の木が立っているから

日も遮られて育たない。

 

「実」は多分、動物に「種」を運んでもらうための道具であり、

「報酬」である。

 

下記は、甘い実を与えることで種を運ばせているのだ。

 

ここには、食べる側と食べられる側に、合意がある。

 

この場合、柿の実は「主体」ではない。

人間に例えれば爪(ツメ)みたいなもんで、

「切った爪をあげるからタクシー乗せてくれ」って頼むようなもの。

 

果実には「食べられることへの恐怖」がないと思われる。


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