インド仏教的なベジタリアンです
肉を食べない理由はいくつもある。
(1)殺すのが可哀想。
自分で殺しているわけではないが、育てている牛を裏切り、殺すことは僕には出来ない。反対に、それを出来る人は食べてもいいのだとも思う。あと、害獣駆除による殺生もやむを得ないと思います。自分の体も生きているので、強い方が勝ちます。
(2)人間の食べ物だと思えない。
リンゴやバナナやブドウを見るとおいしそうに見えます。でも牛や豚や鳥や、犬や猫や熊や魚を見てもおいしそうには見えません。食欲中枢が反応しないのです。ライオンは牛を見ておいしそうだと思うから食べるのでしょうね。
(3)高価である。
高価なものを食べるのは非合理的です。食べ物は手に入りやすい方がよい。野生の動物だって、捕まえやすい相手を襲って食べます。穀物や野菜から肉を育てるにはコストがかかります。コストは価格に跳ね返り、価格が高いことはそのまま、賃労働者の時間を奪います。
(4)人間生活の環境に悪影響である。
無駄な動物を生んで育てて殺すのですから、食料、呼吸、排泄、死体処理による環境汚染がひどいです。土地問題や水問題や大気汚染などの原因です。エコを気取ってエコバッグをもつくらいなら、肉を大豆に替えればよろしい。
これらが理由で、肉を好んで食べません。
ですが、僕自身は完全菜食主義(中国型仏教スタイル)でもないですし、
非殺生主義(ジャイナ教スタイル)でもありません。
カップめんを買って肉が入っていても食べますし、
他人がプレゼントしてくれた場合、
そこにわざわざ価値観の押しつけも無用かとも思います。
せっかくの好意ですから。
ここら辺は、御釈迦様が
「托鉢の際に肉をもらった場合に食べていい条件」があり、
これが近いですね。
そもそも古代の仏教僧にとって肉食は条件を満たせばOKだったわけです。
- 有三種淨肉應食。若不故見不故聞不故疑應食。若不見爲我故殺。不聞爲我故殺。若不見家中有頭脚皮毛血。又彼人非是殺者。乃至持十善。彼終不爲我故斷衆生命。如是三種淨肉應食。
- 殺されるところを見ていない
- 自分に供するために殺したと聞いていない
- 自分に供するために殺したと知らない
まあ、
托鉢僧の分際で、いただいた食事にケチをつけるなという自戒でしょう。
僕の場合は、「安いものを食べる」というルールで、
見えないコストや殺生を計測しています。
たくさん育てて殺した場合、それは価格に転嫁されます。
安いものは、殺した量が少ないだろうという推測です。
みんなこう考えてくれたら、
くそくだらない温暖化問題も食糧問題も解決ですよ。